ウヌマエキナタス

歴 史 探 訪

T.地質時代

(このページは後援会のメンバーで作成しています)

[1]2億年以上前のチャート層

(鵜沼宝積寺町、桜木町)




【鵜沼で採取された放散虫化石[1]



【チャート層露頭のレプリカ[2]


 木曽川両岸に見られるチャート層の露頭です。
 チャートは遠洋の深海注)で放散虫などの化石がたまってできた堆積岩で、その成分のほとんどは二酸化珪素です。 大半の海洋生物の遺骸は炭酸カルシウムなので3000〜4000mの海底に達するまでに水圧で溶けてしまい、 放散虫などの珪酸質の遺骸だけが堆積してチャートになると考えられています。 小指の先、1〜2gぐらいのチャート片から何万もの放散虫の化石が採取できるといいます。
 この鵜沼の辺りから採取される放散虫は保存状態も良く「鵜沼」の名前を冠した「ウヌマエキナタス」(左の画像の黄色枠)はその代表ともいわれています。
 放散虫の進化速度は非常に速く、その研究が進むにつれて地層年代の推定を大きく推し進めてきたのだそうです。。 そして、もう一つ年代推定の精度を向上させたのが、三畳紀に絶滅したいうコノドント[メモ1]の研究でした。
―「2憶100万年前」以降の地層にはコノドントの化石が存在しない―
そうしたことから現在、この地のチャート層の年代は、凡そ2憶4000万年前から約5000万年間の地層ということのようです。 この年代で5000万年間連続したチャート層というのは、世界的にも例のない貴重な環境なのだそうです。

* * * * * * * *

 2009年、神奈川県立 生命の星 地球博物館の研究チームによって、この鵜沼のチャート層のレプリカ標本の採集が行われました(左図)。 そして翌年、特別展「日本列島20億年その生い立ちを探る」が開催され、約4ヶ月間展示されていたようです。
 こちらのページの「2.日本列島の大地の骨組みができるまで」展示の写真が小さく出ています。
注)層状のチャート層は、遠洋の深海で堆積したものではないとする説もあります。


 こうしたチャートは海洋プレートに乗って移動し、大陸に近づき海溝に沈んでいきます。 そして火山噴火(火山灰)や大陸から流れ込む土砂の影響を受け、砂岩+泥岩+チャートの層ができていったと考えられています。 そして、その海溝では海洋プレートが大陸プレートに潜り込む活動が起きていて、 プレートと一緒に潜り込めなかった地層は、剥がれ大陸側に折り重なっていきます。 こうして大陸の端にできたものを付加体というそうです。

【付加体】

 こうした付加体ができる様子を描いてみました。いざ描いてみて疑問に思えたことは、砂岩や泥岩の三層がどのタイミングで出来たのかということでした。 一般に砂や泥が堆積岩になるには1千万年以上要するといいます(海溝の水圧でもっと早いのかもしれませんが)。 それに大陸プレートの反動が頻繁に起きていたとすれば、三層のまま幾重にも重なる状況が中々イメージできませんでした。 尤も、この木曽川両岸に広がるチャート層の露頭も、上の図では一点にも満たなく、スケールの極端な違いからかもしれません。

=メモ1=

コノドント

コノドントの想像図

 コノドントは、カンブリア紀から三畳紀の海に生息した生物です。コノドント(conodont)とは、ラテン語で“円錐状の歯”という意味で、 その名前の通り円錐状の形をしたものや、縦長の“土台”の上にとがった突起が並ぶものなど、様々な形状を持ちます。 一つ一つは0.2ミリ〜1ミリ程度の大きさで、観察には顕微鏡を必要とするので、微化石として扱われます。…(中略)…
 1983年、スコットランドで「歯」の持ち主の全体の化石が発見されたことが報告されました。化石の証拠によると、 この生物はウナギのような細長い体をもち、「歯」は口から奥まったところに規則正しく並んでいたことが分かります。
国立科学博物館/プランクトンと微化石『コノドント』より引用
https://www.kahaku.go.jp/research/db/botany/bikaseki/index.html

・中生代/ジュラ紀…………………………1憶4500〜2憶100万年前
・中世代/三畳紀(トリアス紀)…………2憶5200〜2憶100万年前
・古生代/ペルム紀…………………………2憶9000〜2憶5200万年前
・古生代/石炭記・アボン記・シルル紀・オルドビス記
・古生代/カンブリア紀……………………5憶4100〜4憶8500万年前

P-T境界
 古生代末のペルム紀(Permian)と中世代始めの三畳紀(トリアス紀Triassic) の地質年代の境目で、 その頃(凡そ2憶5000万年前)に生物の大量絶滅があったとされています。その証拠といえる地層が この鵜沼のチャート層から発見されたということで一躍注目されるようになったのです。Wikipedia「付加体」では 次のように記されています(出典:『生命と地球の歴史』丸山 茂徳/磯崎 行雄、1998)。
―ジュラ紀付加体でのトピックは、地球史上最大の大量絶滅であるP-T境界を記録したパンサラサ海の地層が1990年代に岐阜県の鵜沼にあるチャート層で発見された―

【ジュラ紀の頃の推定地球(MaleoMapProjectから加筆)】
[この頃からの付加体(赤矢印)が日本列島のベースとされています]

 ただ、その後の研究では、P-T境界よりも後に起きた絶滅期の境界地層であろうとみられています。 もっとも100%否定されている訳ではなく、新たな化石などの発見や年代測定の新技術などによって再訂正されるかもしれません。
 P-T境界といえば鵜沼のチャート層という記載は、今もネット上でよく見かけます。

【画像出典先】

名古屋大学博物館「放散虫化石画像データベース」
http://www.mus-nh.city.osaka.jp/tokuten/2011kaseki/virtual/history/mesozoic03.html
『犬山チャートP/T 境界部周辺 露頭レプリカ再生標本』
https://nh.kanagawa-museum.jp/www/contents/1599807292033/simple/
chouken15_150_151inuyama.pdf

【参考資料先】




[2]6万年以上前のオレンジ軽石

(鵜沼大伊木町切通し)

【オレンジ軽石/各務原層の露頭(2017)】

【日本ペトロジー学会の調査(2017)】

【オレンジ軽石(2022)】

【鵜沼大伊木町切通し(2017)】

 伊木山の西裾野の切通しで、各務原台地の地層(各務原層)の一部を見ることができます。 その中にレンガ色の部分が点在します。ただの赤土かと見過ごしてしまいそうですが、 実は6万年よりも更に以前の御嶽山由来の「オレンジ軽石」なのだそうです。 それにしても、ブツブツ気泡のできた軽石[メモ2](火山岩)のイメージとはかなり違って見えます。
 火山の噴火でできた火砕流堆積物で軽石になっていれば「軽石流堆積物」と呼ぶそうです。 御岳火山の周辺にもそうしたオレンジ軽石流堆積物があって、それが崩れて古木曾川などで運ばれてきたので、 小さく砕かれて粘土層のように各務原層に混じってしまっているのかもしれません。
 貴重な地層の露頭なので、表面の剥がれかけた部分を少し持ち帰って水に溶かしてみました。 4mmほどのオレンジの粒が二つ水面に浮いてきました。ルーペで漸く分かるぐらいの気泡が確認できました。 それが、左の写真です。

* * * * * *

 場所は伊木山の西の登り口と反対側の細い小道を少し行ったところで、鬱蒼と木々に囲まれてトンネルのようになっています。 このオレンジ軽石が見られるのは右(北)側のみで反対側にはありません。 各務原台地のどこでもある訳ではなく、たまたま発見されたということでしょうか。

◆各務原台地を最下層から順にその歴史を辿ってみました。
@岩盤/美濃帯(2憶年前頃〜)
 美濃帯は、1億9500万年前頃から形成された付加体と考えられています。 (その付加体が大陸の一部と共に分離し始めたのが凡そ2000万年前とされています。)
 列島を支える構造体の一つで、各務原台地では40〜80mの地下に南北すり鉢状に広がっていますが、 その北側に連なる山々や南の島状に連なる山も美濃帯の岩盤が隆起したものであり、木曽川沿いに見られるチャート層もその露頭ということです。

【東海湖の変遷】

(主に露出している地層の年代によるもので、湖の大きさはこれよりも大きいと推定されます)
本変遷図は、「牧野内 猛『東海層群の層序と東海湖堆積盆地の時代的変遷』2001」を参考に作成しています。

A東海層群(300万年前頃〜)
 河川から東海湖に流れ込んだ土砂の堆積層。
 この東海湖は、700万年前頃に現在の伊勢湾辺りから始まり、北へどんどん拡大していき、 ピーク時(300〜200万年前)は琵琶湖の6倍ほどのだったといいます。 今の濃尾平野全体が西に傾いていってるという濃尾傾動運動は、この頃から始まっていて、 東海湖も東方から徐々に縮小していき、最後は鈴鹿山脈の西辺りで消失したとされています。
B濃尾第二礫層(〜13万年前頃)
 ご存知のように、地球の気温は寒冷な氷期と温暖な間氷期を繰り返し、それによって海の水位が大きく変化してきました。 氷期で海の水位が下がる(海退)と、海から遠ざかることによって、河川から運ばれる堆積物も泥や砂から礫や石に変化することになります。
 濃尾第二礫層は、そんな氷期の海退期に堆積した砂礫層なのだそうです。その氷期は約20〜13万年前と推定される四大氷期の一つで、日本ではリス氷期(アルプスの地名)と呼ばれています。

【各務原台地の南北断面のイメージ図】

C各務原層(10〜6万年前)
 氷期もピークを過ぎれば水位は上昇に転じ12万5000年前頃には水位が最大に達したと推定されています。 これが下末吉海進(横浜の地名)で、東海地方では熱田海進と呼ばれています。 この時に堆積してできた台地が名古屋市に広がる熱田台地で、熱田層と呼ばれています。 その堆積物は海進のピークが過ぎて徐々に水位が下がるにつれて海性の貝などの化石を含む泥から砂や御岳の軽石を含む 砂層に変化していきます。各務原層はそうした熱田層の終盤の砂層とされています。
 その後(6万年前頃)、各務原は下流域から徐々に中流域となっていき、河川による台地の浸食が始まります。 ただ、各務原台地は岩盤の小山に囲まれていたため、その小山の途切れた辺りが浸食されただけで、広大な台地が残ったというのです。 各務原台地の形が、所々半円状に抉られたようになっているのはそのためです。そうした低地を低位段丘面と呼ぶそうです。

=メモ2=

火山砕屑物(火砕物)・軽石
 噴火により火口から噴出された溶岩流を除く噴出物の総称。粒径により、火山岩塊、火山礫、火山灰に分類される。その中で、多孔質で淡色のものを軽石、暗色のものをスコリアという。軽石は、安山岩〜流紋岩質マグマ、スコリアは玄武岩質マグマの噴出によって生じることが多い。また、風に運ばれて降下した火砕物を特に降下火砕物という。
(国土地理院「用語の説明」より
(同じ急速に冷えた火山岩の区分で、鉄分が多くシリカが少ない順に、玄武岩⇒安山岩⇒流紋岩)



[3]5万年前の御岳由来の木曽川泥流堆積物露頭

(鵜沼西町)

【木曽川泥流堆積物露頭(2022)】(鵜沼西町)

【木曽川泥流堆積物露頭(2021)】

【日本ペトロジー学会の調査(2017)】

【木曽川泥流堆積物露頭(2021)】

 凡そ5万年前、御岳の東側の斜面が大崩落を起こし、大量の火山砕屑物[メモ2]が王滝川から木曽川に 流れ込み、凡そ140kmほど下流の各務原まで到達しました。その土石の規模は、37年前の「御岳南斜面岩屑なだれ」の60〜70倍、 実に20憶m³(ドラゴンズのバンテリンドームの約1000倍)の規模だったと推測されています。
 その土石流が鵜沼の低位段丘(鵜沼面)を覆い尽くし、その一部が各務原台地の東側(段丘崖)に堆積して 今も露出して観察できるのが写真の木曽川泥流堆積物露頭なのです。段丘面の土石の多くは流され、或いは その後の堆積層(濃尾第一礫層)に埋もれてしまっています。

【御岳由来の火山礫】(小伊木町)


【泥流推定経路:御岳〜各務原台地】(白点は現在泥流堆積物が確認されている地点)


★現地に訪れた際は現状保存にご協力ください

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